ガネしゃん

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日本の世界遺産【佐渡島の金山】

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佐渡島の金山は、2022年に推薦書を一度提出し、内容に不備があったため、2023年にもう一度提出し、2024年無事世界遺産に登録されました。

 

佐渡島の金山

新潟県北西部の沖合約35㎞に浮かぶ佐渡加島は、南西部から北東部にかけて平行に走る北部の大佐渡山地と南部の小佐渡山地、そしてその間の国中平野の3つの地形に分かれています。

 

佐渡島には訪れたことがありませんが、海外との技術交流が限られるなかで、伝統的な手工業での生産技術ということで世界遺産になった金山を見てみたいと思いました。

 

火山活動で2つになった山地は、マグマによって熱せられた金銀などの鉱物を含む地下水が断層や岩の割れ目などに流れ込んで、その後冷えて固まった鉱床を豊富に含んでいます。

 

佐渡島には、かつて55の金、銀、銅、鉛の鉱山があったと考えられていました。

 

金を採掘していた人たちはどんな気もちで採掘していたんでしょうか。

世界遺産に登録された鉱山は2つありますが、鉱床の入り方が違います。

どちらの方が危険だとかあったのでしょうか。

 

鉱山の特徴と歴史が残る「西三河砂金山」と「相川鶴子金銀山」が世界遺産に登録されました。

 

先ほども書きましたが、この2つは、鉱床の入り方が違っています。

 

それぞれの鉱山において異なる最適化された技術で採掘と精錬を行ったという鉱山関連技術が、世界遺産としての価値となっています。

 

登録基準は(ⅳ)の建築技術や科学技術の発展を証明する遺産になります。

 

小佐渡山地にある「西三河砂金山」は、今昔物語に砂金の採取が行われたという説話が残る佐渡島最古の砂金山で、鉱床が山に対して横向きに入る「堆積砂金鉱床」です。

 

これは、砂金が含まれている山を水の勢いで採掘する大流しという方法でとられていました。

 

山腹の地層から砂金を含む土を削り取り、水路を引いて貯水池に溜めた水を一気に流し込み、砂と砂金を分けます。

 

もう一つの「相川鶴子金銀山」は鉱床が山に対して縦に入る鉱脈鉱床です。

 

これは、地表にでている鉱脈を掘る露頭掘りや、地中の鉱脈を目指し坑道を掘る坑道掘りが行われていました。

 

また排水坑道も整備されていました。

 

佐渡島の金山は、江戸時代を通じて、徳川幕府の直轄領で、幕府によって金生産に必要な人材が集められていました。

 

当時採掘していた人々は、金を見てどう感じていたんだろう。

 

江戸時代解禁体制の下、戦略的な鉱山運営が行われていたようです。

 

また佐渡島では鉱山に隣接して集落もありました。

 

佐渡島は、16世紀後半から19世紀半ばまで250年以上にわたって行われた国家的な支配の下で機械化されていない手作業による採掘が続けられていたことが分かります。

 

世界遺産クイズ

佐渡島の金山の説明として正しくないものはどれでしょう。

①江戸時代を通して徳川幕府を支えた鉱山

②海外との技術交流が限られるなか、鉱山の特性に合わせた伝統的な手工業での生産技術が発達した

③17世紀には人口4~5万人の国内最大の鉱山街が形成された

④イコモスからは「登録延期」の事前勧告が出されたが、世界遺産に登録された

 

正解は④です。

世界遺産委員会では、危険な労働に従事していた朝鮮半島出身者がいた事もあり、韓国からの反発も予想されていましたが、事前に両国政府間で協議が行われており説明の展示などもされたことで、登録時には、韓国政府代表が歴史の「正の面と負の面」を認識すべきなどのコメントを出したのみでした。

 

【佐渡島の金山】のまとめ

・江戸時代には解禁体制の下で戦略的な鉱山運営が行われていました。

・海外との技術交流が限られるなか、伝統的な手工業で生産技術が発達

・新潟で初めての世界遺産

 


www.youtube.com

 

 

参考にさせて頂いたもの

世界遺産とは – 世界遺産検定