ガネしゃんです。いつも見て頂きありがとうございます。
先日私の師匠と話す機会がありました。師匠は今年84歳になります。
自分で歩きたいという気持ち
師匠とは10年以上の付き合いになります。足が悪く歩く事が困難ですが、医者の言う事を聞かず、自らリハビリとして「出来る事はなんでも自分でする」事を徹底されています。手術で同じ病気をされた方は全員車椅子生活か寝たきりになられています。
自分はそうなりたくないと日々自分に言い聞かせ、手術から15年ほど経った今でも自分の足で生活されています。
私自身、ぎっくり腰を経験した時初めて体が言う事を聞かないもどかしさを感じました。
足が思う様に動かない彼女は、雨の日の坂道や信号を渡り切れる事が出来るのか?という若い人や健康な人達にとって「当たり前」や「何気ない」1歩の踏み出しがとても「恐ろしい」のだそうです。
周りから見ると「何をしているのだろう?」と見えるかもしれませんが、本人にとっては「とても大変な事だ」という事を分かるのには実際経験しないと分からないものです。
老いても生きていかないといけない
師匠は「老いても生きていかないといけないのだ」という事は辛い事と言っていました。
出来る事なら「自身の事は最期まで自分でしたい」が口癖で、毎度の事ながら彼女の精神の強さが見受けられます。
彼女が私に常にいう【若い時からしておくべきこと】
1.健康であること(心も体も)
2.お金があるということ(きれい事ではない。ないと生活ができない)
3.「自分」をしっかり持つこと(年を取ると流される要素は沢山でてくる)
歳をとると「可哀そう」という哀れの目で見られるのがとても悔しい思いをする。
そこで流されてしまうと、一気に弱ってしまう。ここは「自分」がどうしたいのか、「出来る」事まで人に甘える事なく自分の力でやる努力をする事を忘れないでいると、意外と出来るものなんだそうです。
彼女の言う「甘え」は「出来る」のに「しない事」です。
彼女には同級生がいて、同級生は認知症が少し入っているそうです。頭がしっかりしている師匠は料理を作って持っていきたいのですが、持っていくと次の日には必ず、ご主人が「お返し」を持って来られるそうです。80歳を過ぎた彼女は「友人」としてここは素直に気持ちを受けとって欲しいといっていました。
「友人」として気持ちを受け取る事は「甘え」ではなく、素直に喜んでくれたらそれで嬉しいし、自分が困ってる時に助けてくれればそれだけでいいのになぁとしみじみ言う彼女を見て、何才になっても『人付き合い』というものは難しいものだなぁと感じました。