ガネしゃんです。
ご覧頂きありがとうございます。
共働きで世帯年収が860万円近くもあるのに、生活に余裕がない人と年収がその半分の人でも生活に余裕がある人との違いってなんだかおわかりでしょうか?
今日はそんな「考え方」と「生き方」について書いてみたいと思います。
共働きの世帯の平均年収っていくら?
総務省統計局「家計調査 家計収支編」によると世帯主が60歳未満の夫婦共働き世帯の月収は約72万だそうです。
そうすると、年間で72万円×12か月で約864万円になります。
そんなに年収がありながら生活に余裕を感じられないのはどういう事でしょうか?
理由をみていきます。
年収が多いと支出も多くなる
年収が多いとつい贅沢をしてしまいます。
「少しくらい」という気持ちは誰もが持つことではないでしょうか?
具体的にどんな内容なのかを考えてみます。
ついつい外食で済ませてしまう
仕事から疲れて帰ってきてから夕食を作るのはしんどいですよね。
お腹すいたぁ~と子どもにせがまれると、夕飯が出来るまでついお菓子や菓子パンを渡してしまいがち。
私もやっていました。
お菓子や菓子パン・お惣菜等は手軽に食べれてとても便利ですが、割高です。
悪循環なのが、菓子パンや総菜を先に渡すことで、子供達のお腹が満たされ、夕食時には「いらない」となってしまうのです。
それが毎日続くと、健康にも家計にも良くありません。
こういった事が習慣になってしまうと、出費がかさんでしまいます。
服や靴などの出費が増える
最近は制服がない職場も増えてきています。
そうすると、仕事用に着ていく服や靴などを買わないといけませんよね。
また欲しい服などの誘惑に負けてしまう場合もあります。
金銭的余裕があるので、出費に無頓着になる
仕事にストレスはつきもの。
そんなストレスや金銭的余裕から「働いているからいいか」と気が大きくなって、あまり考えずに余計な出費をしてしまいがちです。
また仕事をしていると付き合いにも出費がかさむように。
自分が会って話したい人との食事は良いのですが、愚痴だけの食事だと時間の浪費にもなってしまいがちです。
本当に必要なものか考える
仕事をしていると、疲れてしまってついついやってしまいがちな事ばかりですが、時間をお金で買う事が悪いワケではありません。
むしろ、子どもや家族たちとの時間はとても大切だと思います。
大切なのは、自分が支払うものに対して、それだけの価値があるかどうかをその都度確認する事です。
年収が少なくても生活に余裕がある人の考え方
あの時やっておいて良かったと思える事をやる
忙しさにかまけて、ついつい後回しになってしまう事って多いと思います。
なかでも、遠くに住んでいる両親の事は気にはなるけど…という方も多いかもしれません。
親はいつまでも元気ではありません。
そしてそれはある日突然やってくるのです。
こちらは今年に入って叔父、叔母ともに亡くなりました。
近所の方も含めると、数えきれないくらいのお葬式がありました。
団塊世代が後期高齢者になる2025年。
いつ介護が必要になってもおかしくありません。
親孝行したい時に親はいない
そんな高齢者を前に私が思う事は、「絶対に後悔したくない」ということです。
自身が今出来る事を精一杯やっている具体的な内容
では後悔したくない生き方ってどうなの?
私の後悔しない生き方はいたってシンプルです。
人それぞれなので、誰もに当てはまるわけではありませんが、私の生き方としてやっていることは、
・親しい間柄でも挨拶、感謝の言葉を伝える
・思っている事は具体的にはっきりと伝える
・今出来る事は、すぐ行動する
・やりたいと思った事は後伸ばしにせず、やる
・健康に気をつけて毎日の食事を作る
・特別な日は、おいしいものを大切な人と食べる
そして
・自分が支払うものに対して、それだけの価値があるかどうかをその都度確認する事です。
勿論誰と何をどこでするのか?行事や予定が合わない場合もあります。
そんな時は何を最優先にするか?で迷ったらやると決めています。
全てが思う様にはなりませんが、やって良かったと思う事が多いです。
最近の具体的にやって良かった事は、
両親の永代供養のこと
オペラ座の怪人を観れた事
親だけではありません。大切な人との時間。家族との時間。
自分にとって大切な事を出来る時にやってください。
私の今の楽しみは7月に行く両親との家族旅行と8月にあるアレグリアを観に行く事です。
娘が大学に入った後には海外旅行も考えています。
そうそう、勘違いしないことは、楽しい事をするのではなくって今あるその事を楽しむって事です。私の場合は、普段の生活でも大切な人と一緒にいるだけで幸せだなと思えること、ご飯を作る時も食べる時も後何回こうやって一緒に食べれるのかなぁとかその時間を感謝し楽しむことです。
永代供養の事も、話さなければ出来なかった事です。
両親と何度も話し合って、実際に足を運び、決定しました。
何度も話すうちに、あまり本音を語らない本当の気持ちが分かる事があります。
気持ちを尊重しながら、出来る事をやっていってます。
今のところ、行動し「やらなくてよかった」と後悔していることはありません。
シンプルだけど、当たり前のことを丁寧にすること。
私の精一杯生きる生き方です。
ここで寓話をひとつ。
みなさんは、生クリームの中のカエルのお話をご存知でしょうか?
生クリームの中のカエル
昔生クリームの瓶に落ちてしまった2匹のカエルがいました。
2匹ともしばらくして自分達が沈み始めていることに気がつきます…
生クリームは濃い液体なので、浮いているのが難しかったのです。
そこで2匹は手足をばたつかせて浮いていようとしました。
しかしこれは労力がいることですぐに沈んでしまい顔を出して浮くのが難しくなってきました。
1匹は「こんなことをしてもどうせだめ」とあきらめ沈んでいってしまいました。
もう1匹のカエルのほうは我慢強いというか「いくら死が迫っているとはいえ最後まで生きるんだ」と足をばたつかせていました。
重い液体の中では1センチも進めず元の場所に浮いたままなのに同じ場所を何度も足を動かし続けながら…
するとさんざん足を動かした為に突然生クリームが固まってバターになりました。
カエルは驚いてひとっ跳びして瓶の縁に飛び移り帰っていきましたとさ。
「どうせ」や「自分にはむり」なんて考えていませんか?
「どうせやってもだめ」と思ったり「もう年だから」と年齢を言い訳にしたりして努力を放棄する傾向がある時のヒントがこのお話には隠れていますよね。
この寓話、カエルが死と向かい合った中で「出来る限り自分ができることをする」というところが心にしみます。
カエルは足を動かしますが、それは単に動かすという動作だけではなくって今自分が出来る事を精一杯生きるんだということ。
予想外の出来事で人生は生クリームの瓶に落ちたカエルの様になることがあります。
そんな時、自分がどう生きるか?を問われているような気がします。
周りが大活躍していると、自分がちっぽけに感じてしまったりする事もあります。
結果としてカエルのようなハッピーエンドにはならなくても、今出来る事を信じて続ける私の一生懸命を大切に生きて生きたいと思っています。
自分にしか出来ない事って意外と多いんですよ!!
一生懸命頑張っていたら、「やってて良かった」って思えるんです。
小さな子にはこんな絵本をどうぞ。
しょうぼうじどうしゃじぷたのあらすじ
精一杯生きる
生きていくために必用なお金は必要です。
年収が多い少ないではなく、自分がどう生活したいか?
これに限るんです。
是非、後悔しない生き方を考えて下さい。
年収が少なくても生活に余裕がある人の考え方は今出来る事を精一杯やっている人だと思います。
「出来ることを精一杯する」
一生懸命やってる人をみると応援したくなります。
そして自分もやってみようって思う。
協力しようって思える。
そんな風に誰もが思えばこの世の中も良くなっていくのになぁと思います。