ガネしゃん

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世界遺産を学んで【軍艦島(端島)】を訪れる①廃墟から見えた当時の生活

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世界遺産を学んでから、世界遺産がある土地へ訪れる事が楽しくなりました。

今回は海に浮かぶ世界遺産【軍艦島(端島)】の雑学と訪れた感想です。

上陸前に知っておきたい基礎知識を雑学するだけでも、見る所がグッと違ってくると思うので、軍艦島をより広く知るためには、雑学してからの上陸がおすすめです。

 

海に浮かぶ世界遺産【軍艦島(端島)】

 

長崎市端島、通称【軍艦島】は、明治3年(1870)に開抗されました。

 

長崎港から南西の海上約18㎞。

 

小さな瀬と岩礁を中心に6回もの埋め立てによって、その3倍の面積になりました。

 

総面積は約63haという小さな島です。

 

あんな小さな島に約5000人もの人たちが暮らしていたなんて、そう思うと当時の生活に興味が湧いてきました。

 

実際に上陸し、ガイドの説明、廃墟や写真から当時の暮らしを想像することが出来ました。

 

【軍艦島】を支える護岸

もともとは現在の大きさの約3分の1しかなかった岩礁。

 

それを現在の姿として支えていたのが、石積みの護岸。

 

天川(あまかわ)と呼ばれる海水に強いという特徴を持つ接着剤や天草の砂岩が使用されました。

 

100年以上経った今でもその姿を残すなんて、当時の技術の凄さに驚きです。

 

【軍艦島】の当時の生活

炭鉱従事者は危険を伴う貴重な人材でしたので、体力があって、なるべく既婚者を募集していた仕事だったそうです。

 

その理由は、すぐに辞めることのないように家族の生活を支えている男性だったということですね。

 

そのかわり、待遇は素晴らしいものでした。

 

狭い島内に、小・中学校。病院やお店。

 

ビリヤード場やパチンコ店といった娯楽施設もあり、生活に必要なものはほとんど揃っていたそうです。

 

当時三種の神器と呼ばれていた電気冷蔵庫、電気洗濯機、白黒テレビに加え、家賃がなく光熱費も安いうえに、給料も一般よりも多かったようです。

 

食べ物も新鮮や野菜や果物もあったので、買い物に困ることはなかったようですね。

ただシケの日が続くと、船が出せないので、欠航が続くと缶詰の日が続くといった生活。

 

これだけを聞くと結構良さそうな気がしますが、部屋は狭く壁一枚だったので、トイレや隣の住人の声なども聞こえるのでプライベートとしてはなかったようです。

 

特に私が嫌だなぁと思ったのは、水不足と洗濯と強風。

 

当時最先端の洗濯機があったとしても、毎日山のようにたまる洗濯物に、窓がないと日が当たりにくく、乾きにくかったのではと思うから。

 

もう一つは、長崎港から軍艦島(端島)を結ぶ定期船は毎日3便、一日約1200人ほどを運んでいましたが、強風の日の上陸が嫌だなぁと思いました。

 

それは、シケの日には直接桟橋に上がれないため、縄ばしごを使って上陸しないといけないのですが、強風や雨の日など、女性にとってはスカートが風でめくれ、縄ばしごで体が振り回されそうだからです。

 

最後に水不足。

 

トイレもプールも海水。

 

海水だと体がべたべたしてしまいます。

 

その海水の後に真水でどこまで洗えたのがよく分からず、今のように当たり前に使えるお水をありがたいと思いました。

 

そしてトイレ。

 

トイレの排泄物は地下の処理槽から排水口を経て海に流されていたそうですが、共同トイレの近くにある部屋や下の階になるにしたがって、排泄物の落ちる音や悪臭がしたのだそう。

 

想像しただけで、私には住めないと思いました。

 

実際に行ってみた【軍艦島】の感想

軍艦島上陸するには事前に、ツアーの予約が必要になります。

 

長崎港から4つの会社が催行しています。

 

今回私が参加したツアー会社はシーマン商会。

 

ガイドさんの分かりやすい説明と、スタッフさんがカメラを撮ってくれたりとても快適な周遊ツアーとなりました。

上陸の際のルール

・見学施設区域以外には立ち入らない

・飲酒・喫煙・柵を乗り越えるなど危険な事はしない

・ハイヒールやサンダル・傘などの使用禁止

・ゴミは持ち帰る

・天候などにより上陸できない場合あり

・小学生~高校生までは承諾書の署名・保護者同伴での上陸

・小学生未満は上陸不可のツアーもあるので要確認

 

軍艦島(端島)ツアー

9:40ツアー船に乗船

台風が心配でしたが、当日は晴天になり、上陸出来るのだと思うとワクワクします。

 

乗船時間の40分前に到着し、少し早いかなと思っていたのですが、既に席は半分以上埋まっていたので、早めに受付と席の確保はしておくほうが良いと思いました。

 

乗船中、時々船が揺れて迫力満点。

 

ジャイアントカンチレバークレーン

三菱重工長崎造船所などを船の中から見学できます。

 

この時、別のクレーンをジャイアントカンチレバーだと思い込み、そちらの写真を撮っていたら、違うことに気づき慌ててこちらの一枚をパシャリ。

 

1909年施工のジャイアント・カンチレバークレーンは100年以上経った今でも当時と変わらないんだそうです。

みんなの神様

途中、教会と鳥居があり、どの神様に何を拝んでもOKという所がありました。

 

無宗教の方にはありがたい神様ですね。

第1見学広場


ドルフィン桟橋をあがってすぐ、端島小中学校や島で一番大きい集合住宅だった65号棟アパート(300を超える所帯が暮らしていた9階建て)が見えます。

 

一旦スルーして、前に進みます。

 

ガイドさんの話は一番最後に戻ってきてからこちらで聞きました。

 

第2見学広場

最初に立ち止ってガイドさんの話を聞いたのはこちら。

赤いレンガの壁。

この部分が世界遺産となっています。

 

第3見学広場

鉄筋コンクリートのアパートや島民の住居跡を見ることができます。

 

日本最古の鉄筋コンクリートのアパート30号棟

総戸数は133戸で、6畳に土間兼台所のついた間取り。

 

こちらのアパートは台風の高波から島を守るために作られていたので、防波堤の役割もしていました。

 

ということは、こちら側には窓がないということなんです。

 

窓がないと暗いし、洗濯物が多いだろうし、洗濯はどうしてたんだろうと不思議に思いました。

 

この建物は、古くていつ崩壊してもおかしくなく、私たちがこの建物をみるのが最後かもしれないと言われ「お~」と喜んでいたら、かれこれ4年前からそういったことが言われているのだそうです。

 

その横には、子どもたちのために作られたプールの跡も残っていました。

 

最後に、第一見学広場に戻って集合写真をパチリ。

 

写真はブログに載せられるそうで、自由にダウンロードできます。

 

軍艦島ツアーのシーマン商会|軍艦島上陸・周遊 - 軍艦島, ツアー, 端島, 上陸, 見学, クルーズ 長崎, 観光, シーマン商会