ガネしゃんです。いつもご覧いただきありがとうございます。
娘は「美」に敏感です。ヘアセットにメイクや脱毛にメイク等、興味があります。
スタイルも良くて目もパッチリでかわいいです。(親バカ)
小さい頃から周りに「可愛いね」と言われ、その度に「パパ似だね~」とも言われます。←どういうこと???
(失礼しちゃうわヽ(`Д´)ノ~)
人によっては「誰に似たの?」と言われた事もあり(;´д`)
娘は「綺麗になりたい」とか「お肌のケアをしないと」と毎日の様に言っています。
あまり「美容」に凝り過ぎると困りますが、今はストレス解消にもなるみたいなので、楽しむ程度ならとそっと見守っています。
そんな娘にも是非読んで欲しい今日の記事(いつか読んでね(笑))
少し前の新聞記事になるのですが、ご紹介させて頂きます。
美の基準 自分で設定を
「きれいじゃないから損。不公平な感じ」という相談をうけることがしばしばだ。
百パーセント女性からである。容姿で差別してはいけないというのは建前で本音は別だろう。
アメリカの心理学者のリタ・フリードマンは著書の「美しさという神話」のなかで、愛らしい赤ちゃんは不器量の赤ちゃんよりかわいがられ、かわいい子どもはあまり叱られない、と述べている。
この傾向は成長後も続く。驚くのは裁判で陪審員は美貌の被害者にはより同情し、若くてきれいな患者は個人セラピーを受ける機会が多くなるという調査報告があるそうだ。美しいと周りからほめられ、良い待遇を受けられるので自信もうまれる。
つまり美しさが人生に肯定的なフィードバックをもたらすというのだ。
ただしこれには落とし穴もある。
それは年齢が上がるにつれて男女共に魅力的でないとされ、男性は年齢が上がっても男らしいと評価されたりするが、年配の女性は魅力的でないとされるという点である。
つまり美しいという事は、肯定的な喜びになる一方、否定的な落とし穴があるということに気が付く必要がある。
さらにフリードマンが指摘しているのは、美しい女性は他の才能を磨くように励まされることが少なく、美しさだけで成功をもたらすと思われてしまう事があるということだ。このために年齢が上がり美しさが衰えたときの自己肯定感の低下が顕著になってしまう。若い時に美しかった女性の自己肯定感は、若い時平凡な容姿の女性より人生満足感が低下してしまうという。男性の場合は満足度と容姿には相関がない。
女性にとって外見は人生に大きな影響力を持っていることが分かる。
美しくて大きな成功を収めているような場合も、それが実力ではなくて外見により成功だと思われてしまうこともしばしばだ。自分の業績が外見のおかげだと思われない様に困難な目標を目指して頑張りすぎストレスで力尽きる女性もいる。
今容姿や年齢で女性を評価する風潮について改めて問題になっている。美の基準は時代により変化するが、多様性が大事と言われながら、その時代の美しさの基準は狭く、多様とはいいがたい。ほっそりした容姿、ぱっちりした目に細いあご。
画一的な一つの美の基準に自分を合わせようとしたりその基準にあてはまらないことで苦しんだりする女性がなんと多いことだろう。女性がこうした基準から自由になるには、人から求められる美しさの基準ではなく自分で決める美しさを設定し、それを目指すことが必要なのだろう。そしてこれはその人の生き方を決める事と共通しているように感じる。顔の造作を超えて素晴らしく魅力的な表情を見る事がある。全力で走った後の若者や演奏中のミュージシャンなど人が自分らしく生きている時の表情は美しい。美はその中にある。新・心のサプリ 毎日新聞より
まとめ
何度か記事やコメントでも書いていますが、何かを目指して頑張ってる人の「目」ってキラキラしていて、とっても素敵なんですよね。
私はいつも人と会話するとき、「目」を見て話すのですが、何かに夢中になってる人の目がいつも輝いてとても美しいんです。
私はそういった「自分らしく」生きる人に惹かれます。
「美」の基準、あなたはどう思われますか?