ガネしゃんです。いつも見て頂きありがとうございます。
今日は『しない生活』 8日目です。
インターネットを通じて「人とつながりたい」という気持ちの裏にも「自分の事をわかって」という煩悩が紛れ込みます。
ネット上では日記や片言のつぶやきから、匿名掲示板での他者への批判、悪口、陰口にいたるまで、膨大な量の言葉がはき散らかされていますよね。
それらの書き言葉が昔の個人的な日記と決定的に異なりますのは、他人に見てもらいたいおいう衝動が働いていること。自分の日記や片言が見られることを通じて「自分ってこんな人なんだだよ」とわかってもらおうと、誰もが実は寂しくあがいているのです。
たとえば「今日の私の誕生日は友達が赤坂のホテルでお祝いをしてくれてフレンチでした」とみんなからもらったプレゼントの写真付きで何故に書きたくなるのか。それは「みんなから祝ってもらえたりプレゼントをもらえたりしてこんなに大事にされる素敵な私なんだってわかってほしいよ」という思いからなのです。
匿名掲示板での悪口も、自分の書いた悪口を多くの人たちが見てくれていて反応してくれることを通じて「自分は上手に他人を批判できる」ということをわからせようとしているものです。ゆえに、誰も反応せず、誰も見てくれなければやる気を失うことでしょう。
私も自分が書いた記事にコメントを頂くととても嬉しいです。それが何の反応もないときっと寂しいんだろうなって思いました。それも私の事を分かって欲しいと思ってるのかもしれません。ただほんわかと「分かってほしいなぁ」だけでおさまるなら良しとしたいのですが、「わかってよ!」と心を乱す事へとなるのであれば、気をつけなければいけない事だなと思いました。
- 作者:小池龍之介
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