ガネしゃんです。いつも見て頂きありがとうございます。
ここ数日娘とのバトルがありました。
思春期の子供との生活って難しいなぁと思いました。自分ではしっかり育てているつもりが「追いつめて」る部分があったのかもしれません。
他人とくらべない
※本「ブルーデイブック」より引用させて頂きました。

The Blue Day Book for Kids―落ち込む日ってあるよね? (ブルーデイブックシリーズ (8))
- 作者:ブラッドリー・トレバー グリーヴ
- 発売日: 2005/12/01
- メディア: 単行本
他人と比べて「自分のほうができる」とか「自分のほうが若々しい」と比べれば尊大になり、反対に「自分のほうができない」「自分の方が老けている」などと比べると不快になり、どちらにしても気持ちの良いことではありません。
人間の脳というのは「自分はどれくらいのランクなんだろう?」と確定したがる習性を持っていて、そのために常時自分と誰かを比較して「自分が上だ」「下だ」「同じくらいだ」という情報処理をし続けてるのだそうです。
そして比べる相手には、「兄妹」、「親」や「子供」もいます。
私には息子と娘がいますが、よくないと思っているのが「息子と娘」「私と娘」との比較です。
アドバイスのつもりでつい娘に「あの時お兄ちゃんは○○した」とか「ママは○○だった」って言ってしまうんですよね…言葉って難しい。
そんなつもりではないのに、「比較してる」って思われます(*_*)
家族間で多いのは「能力」における比較だそうです。
例えば「私は国立の○○大学に行って弁護士になったのにあなたは無理そうね」と子供に言ってしまった場合、言われた子供は私大のトップ校に入った位では親に認めてもらえない。
学校でどんなにいい成績をとっても、周りから凄いねって言われても、家では肩身が狭い思いをしなければならない。
共感する
子供が小さい頃、転んで泣いた時「痛かったね」とか悲しかった時や辛かった時「悲しいね」と「辛かったね」と背中をさすりながら気持ちを共感した事があったと思います。それがちょっと大きくなって転んで泣いた時に「泣かないの。もう大きいんだから」と泣きたいのに泣くのを我慢すると「泣かない事がいい子」として褒められる。
こうやって泣きたい気持ちを我慢してしまうと親の顔色を見ながら「泣く事は悪い事なんだ」と身に着けてしまいます。そうなると、身体的・精神的に「痛い」思いをしても「痛くない」と我慢するようになります。「泣かない事」で褒めて貰えるからです。
思春期の時期というのは心身ともに不安定な時期であります。
娘は心が安定している時とイライラする時の両方がここ1年間でありました。
勉強に部活動、友達関係と人数が少ないながらも色々と問題はあるみたいです。
娘はそこから抜け出し、どのようにして生きていけばいいのか大きな悩みに直面しています。
ありのままを認める
思春期の子供さんは誰もが不安の中で立ちすくみ、もがいていると思います。
いまこの状態で一番必要な事は何か?
これは娘が言った言葉ですが、
「今の私を見て。大丈夫って言って」です。
娘は心配性でちょっとした事でも心配してしまいます。
そんな時娘はいつも「だいじょうぶ」ってちゃんと目を見て抱きしめると安心します。
中学生でも高校生でも大人になっても変わらないと思います。
忙しい時は適当に「だいじょうぶ」と言ってしまうとものすごく怒られます。
その度に反省するのですが、ちゃんと
「だいじょうぶだよ」って言うととても安心します。
決して『そんなことくらいで』と思わずに助けを求められたらその都度子供の存在そのものを受け止めて下さい。
親が「そのままでいいよ」と言えない理由
ほとんどの親が「そのままでいいよ」と言えない理由もわかります。
この時期は中学受験や高校受験があり「将来のためにもっと頑張ってもらいたい」
という気持ちが強くあるからです。
息子は中学1年生の時やる気がなくて「だいじょうぶ」だろうかと心配しました。
友人の息子さんも貰ってきた成績をみて「行く高校があるだろうか」と心配していました。
親には子供を「自立」させる責任があるので、遊んでばかりいる我が子に「そのままでいいよ」ではなく「もっとがんばれ」と言ってしまう気持ちになってしまうのです。
あなたがいてくれるだけで幸せ
昔はおじいちゃん、おばあちゃんがいて、親に怒られても彼らが「丸ごと」子供を包んでくれました。
核家族になった今は「ありのまま」の自分を包んでくれる人が少なくなりました。
祖父母のような「丸ごと」包んでくれる大人がいない場合は、親がその役割をしないといけないと思っています。
「ちゃんとしなくては」という気持ちと「甘えてもいいんだ」という気持ちの間で絶えず揺らいでる娘にたいして、私がつい最近意識しているのが「甘えさせる」ことです。
甘えさせるといっても、なんでも好きにさせるのではなくて、「娘を認め、受け入れる」ことです。
例えば娘が「勉強しなくては」と言いながらテレビやスマホを見ていると「ちゃんと勉強しなさい」というのではなく、「なんかあった?」と声をかけてみるという感じです。それがたとえ受け止められなくてもいいのです。「ちゃんと」ではなく「私の事をしっかり見てくれてるんだ」と分かってもらう事です。
特に女の子は勉強に身が入らないほど「ちゃんとしなければ」「こんな事していてはいけない」と必要以上に自分を責めてしまう場合があるので、注意が必要なのかも知れません。
「きっかけ」で目標を持った息子とはまた違った思春期の娘を育てていて、娘がいう「私のことを見て」「私を認めて」というメッセージを今になってようやく気付いた気がします。
日々の生活で親が出来る事
ブログの記事を書いていると良い事ばかりになってしまうのですが、私が心がけていることとして書いておきます。
「(あなた)頑張れ」ではなく、「私からみると、あなたはがんばっている」
「(あなた)~ができたね」ではなく「(私はあなたが)~が出来てうれしい」
主語を私に変える事で娘の成長を喜ぶ心が伝わる言い方を心がけています。
不安でたまらない娘に私が出来る事です。
そうする事で娘が安心し、自分の意志で動いてくれることが出来るのではないかと思っています。