今週のお題「おとうさん」
「英語でリンゴは何ていうでしょう?」
「アップル!」
「あ~惜しい!りんごはアッポォ~って発音すんねん」
「一緒やんか!!」と私と弟。
「ちゃうわ」
大して変わらない発音やけどなぁと思いながら、
「じゃ、次は?次!!」
「よっしゃ、次はなぁ、ちょっと難しいで、ゴマ知ってるか?ゴマ」
「開けゴマってあるやろ、あれや」
「分からへん」
「セサミや、オープンセサミ。ってアリババと40人の盗賊にも出てくるあれや。」
家族全員が食卓を囲むのが日課で、夕食時には、こんな感じで良くゲームをしました。
ゲームの内容は英単語当てや都道府県の県庁所在地当てゲーム等です。
病弱だった父親を18歳の時に亡くした私の父は家族と過ごす事を大切にしていました。そして、子供が喜ぶ事が何なのか良く知っていました。
日曜しか休みがなくてもいつもどこかへ連れて行ってくれた父。毎日母が作る弁当を持って行き、一生懸命働いてくれてるのが、子供ながらに分かっていた気がします。
そんなある日いつもの様に夕飯の準備をしていた母が、掛かってきた電話を切った瞬間しんどいから、横になると休んでいた所、帰宅した父が、熱がなく吐き気も出てきた母親を見て、病院へ電話し、冷静に症状を伝え、そのまま病院へ。ただ事ではない状況で何も出来ずにいた私。ただ、連絡を待つばかりでした。夜遅く、父からの電話で母が、くも膜下出血で直ぐに手術が必用だと聞かされました。
医師からは、手術は最善を尽くしますが、爆弾を抱えているのと同じ状況なので、手術前に破裂する事もあると説明され、目の前が真っ暗になりました。
「お母さんとお医者さんを信じよう。けれど、最悪の事もある。覚悟はしとけよ。」
父が言った言葉で私も弟も初めて「死」と向き合いました。
その後、手術は無事成功し、母は後遺症もなく、現在に至っています。
私にとって当時の執刀医は神様に見え、スタッフさんにも大変お世話になり、今でも感謝の気持ちでいっぱいです。
あれから20数年が経ち、当たり前の様に日常を過ごしていますが、当時を思い出すと、「今」を大切にしないといけないなと思います。
私が父の涙を見たのは、当時と自身の結婚式の2回だけです。
「英語でりんごって何ていうか知ってるか?」
「知ってるわ、アップルやろ」
「ちゃうちゃう、アッポォ~や」
子供達は成長した今でもおじいちゃんが大好きです。
「お父さん、いつもありがとう。私は今とても幸せです。」